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『北海文学』と「挽歌」発表まで
原田康子さんの名作、小説「挽歌」は、昭和30年6月から31年7月までの10回、同人誌『北海文学』に連載されました。1回80枚平均でしたから全体で約八百枚の原稿だったということになります。
当時『北海文学』は、経営に行詰って活版印刷からガリ版に切替えたばかりで、鉄筆は素人の私自身が握ったものですから、恐らく全国で最も無体裁の貧しい同人誌であったので、いま思えば、この貧弱な雑誌に発表することになった原田さんの気持はどんなであったか、察するに余りあるものがあるのです。しかし原田さんは一回の休止もなく、しかもこの大作を破綻なくまとめられたので、その筆力は発表当時から全国的に評価の高いものでした。『北海文学』は、いってみれば原田さんのこの一作で著名な存在となることができたようなものです。
戦後最大のベストセラーに
「挽歌」は完結と同時に出版社が決まり、31年の暮れに初版が出ましたが、もうその年のうちに第二刷が出版されるなど、僅か一年のうちに70万部という、当時としては信じられない速さでベストセラーになりました。私の知っている限りこの数字は、戦後の小説界では最大の売行きを示したものです。今でも新潮文庫や角川文庫で静かなブームを続けていますから、軽く百万部は突破していると思います。戦後の釧路からこのような文学的快挙が実現したのは、むろん原田さんの才能によるもので、実に驚くべきことと言っていいのです。
釧路の社会文化に貢献した「挽歌」
そればかりではありません。「挽歌」が釧路の社会経済、文化観光に果たした役割は、計り知れないものがあります。「霧の街挽歌」「挽歌の街釧路」は、間も
なく映画化されたことによって更に強く全国に印象づけられました。私たちは、もういちど名作「挽歌」にじっくりふれてみる必要があります。同時に「挽歌」を生んだこの地に、その功績を讃えて歴史的に永遠の刻印を遺す必要があるのです。これからの釧路の文化発展のためにも…。
北海文学同人会代表 鳥居 省三
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